参院選の投票日が来週末に迫っていますね。皆さんは投票に行かれますか?私は、今、住民票のあるところと違う場所に住んでいて、来週末はその住所地に帰ることができないので、今日、期日前投票をしてきました。
私としては、今回の選挙は重要な意義を持っているものだと捉えています。
現在、政治上の重要課題と言えば、イラク問題や北朝鮮問題、年金問題など、様々なものがありますが、その内の一つに憲法改正論議があります。戦争放棄を謳った9条の改正や、集団的自衛権、自衛隊問題、統治機構や憲法改正関連の規定の見直しなど、憲法を大幅に見直そうという論議が起こっています。
憲法は、その内容を2つに大別することができます。一つは、国家と国民間に関する規律で、もう一つは国家内部組織に関する規律です。そしてその最大の目的は、国民の自由を確保することにあります。つまり、憲法は国家と国民間に関する規律、すなわち「国民は基本的人権・自由を有しているのであって、国家は権力を使ってその国民の自由に介入してはならない」という規定を設けて直接的に国民の自由を確保しようとし、他面、国家内部組織に関する規律、すなわち「国家権力を、過去の天皇大権のように一つの機関に独占させず、立法、行政、司法の3つに区別分離し、それらをそれぞれ国会、内閣、裁判所という別個の機関に担当させて、お互い牽制させあうことで、国家権力の抑制を防止する」という規定を設けて、組織的な面から国民の自由を守ろうとしているわけです。
こうして憲法は、国家権力の行使に何重もの鎖をかけて、国民の権利自由を守ろうとしています。これは過去に対する反省から規定されたものです。かつて明治時代には思想弾圧などすさまじいものがありました。国家の恣意で国家にとって都合の悪いものが制裁を受けうるような世の中でした。「権力は絶対的に腐敗する」と賢人はいいましたが、その権力をもってすれば個人の自由を制約することなど簡単なことです。普段、このようにして憲法が存在することによって私たちの生活が守られているんだ、などと感じることはほとんどないと思いますが、この憲法がなければどのような恐ろしいことになるか、歴史を振り返り、あるいは世界にまだ沢山ある独裁国家の現状を見れば、明らかでしょう。
ところが、現在の憲法改正を謳う政党の政策の中には、この国家権力行使への鎖を少し緩めよう、という意思とも受け取れうる内容が盛り込まれています。
たとえば、現在の憲法は、硬性憲法といって、それを改正する場合には、非常に厳格な手続を要求しています(96条)が、この厳格性を緩めようという議論があります。そもそも96条は、容易に国民の自由を守る基本法たる法が改正されてしまって国民の自由が侵害されることがないように、との趣旨から設けられた規定なのに、この厳格性が緩和されたのでは、その趣旨が失われかねません。
もちろん、現在の政府や国会が、国民の権利を侵害しようとして、このような論議を展開しているとは思いません。ただ、あまりに政治的意図が先行してしまって、ルールにはルールとして存在する意義があるのだということを忘れてしまっているのではないかと感じられ、私には危険に思われます。「国際社会において名誉ある地位を占めたい。日本独自に自衛権を行使し、軍を保有したい。しかし、憲法9条がある。戦争放棄を謳っている。じゃあ、この規定を変えよう。しかし、憲法96条がある。硬性憲法を謳っている。じゃあ変えよう。」このような流れの中から憲法改正論議が行われているとしたら、非常に危険です。
絶対的に腐敗する権力。その権力に抑止力を働かせることによって国民の自由を守ろうとしている憲法。このシステム・枠組みがもっている意義を忘れてしまってはいけないと思います。政治問題解決の必要性が存在するのは確かで、そのために憲法の規定が窮屈なものであることも事実かもしれませんが、ひとたび権力を自由にすれば、腐敗し、濫用の危険が常にあることもまた看過してはいけないのではないでしょうか。
よく政治家は「国民的論議を巻き起こし」と言います。しかし、論題を国民に投げかけるのはその政治家であって、説明するのも政治家です。その説明ばかりを聞いていたのでは、私たちは自由に討論しているように見えて、真実はただのあやつり人形にすぎないのかもしれません。政治家の言うことをそのまま信じ、それに盲従していれば、しらずしらずのうちに権力の独裁になびいてしまっているかもしれないのです。怖いのは、徐々に腐敗が訪れて、それに私たちも次第になれていってしまうことです。知らず知らずのうちに、私たちの思想言論の自由が奪われていって、批判する材料さえも持たなくなってしまうことです。
先日、小泉首相は単独で多国籍軍への参加を約束してきてしまいました。これは、そのような独裁になびく契機ともなりうる重大な違憲行為との疑いが非常に強いものだと言わざるをえません。戦争放棄を謳う9条に反する疑いの強い事柄について、法律の誠実な執行者たるべき内閣(73条1号)の長が、民主的機関たる国会の審議も経ずに、単独で決定してしまったからです。これについてある野党党首が「国際協調を図る必要があって、自衛隊の多国籍軍への参加も議論すべき課題ではあるかもしれないが、そのことと、憲法がこれを許していないということとは全く別次元の問題である」と批判していたのは、これについては全くその通りだと思いました。
大切なのは、常に自分で考えると言うことです。政府の主張も当然一理あります。政治家の方々の見解も、当然傾聴すべき主張が多々あります。しかし、人間である以上、その主張はたぶんに一方的で一側面に偏っている可能性も高いのです。政府、政治家に盲従するのでなく、同時に彼らを悪とみなすのでもなく、その主張を丁寧に聞いて、裏も読んで、そして更にその他の色々な方面からの意見を聞いて、自分の考えをなんとかまとめていく。そういう課程が大事じゃないかなぁ、と思うのです。
あー、今日もなんか真面目になってしまいました。ゆるり散歩道。日本に焦点を当てる、ということで、日本の基本法たる憲法にも焦点を当ててみた、ということで許してくださいっ。