今回は「飛鳥シリーズ」はひと休みして、少し別のお話をしたいなと思います。
先日の「今日のひとこと」でも少し触れたのですが、
先日、祖母から彼女が育てた野菜をもらう機会がありました。
と言っても、別に祖母は農家をやっているわけではなく、
ただ、庭に小さな畑をこしらえていて、そこで採れた野菜たちです。
祖母の家はぼくが今住んでいる家から、自転車で20分程のところにあるので、
その日は、用事で近くに行ったついでに久々に顔を見せに寄ったのでした。
祖母も祖父が亡くなってからは、やはり少し淋しいのでしょうか、
ぼくが顔を見せに行くと本当にとても楽しそうに話をしてくれるので、
ぼくの方がいつも嬉しくなってしまいます。
祖母の大好きな松尾芭蕉や歴史、旧跡の旅とかいったものに、
ぼくが人一倍興味を示すせいもあるかもしれません。
女学校の教師だった祖母は、優しく教えるように、
かつ自らも懐かしい思い出を慈しむようにして、
いつも「あそこはどうだった」「芭蕉さんはこうなのよ」と、
丁寧に話し聞かせてくれるのでした。
その日もはじめは芭蕉の話をしていたのですが、
途中から祖母の畑仕事の話に変わったのでした。
そう言えばぼくは自分の好きな旅の話などは祖母からよく聞いていましたが、
自分の生活に無い「畑仕事」については聞いたことはありませんでした。
それで「今は何を育ててるの?」と聞いてみたのです。すると、
「最近まではオクラやゴーヤが採れとったんやけども、
今からは土をまた少し耕して、ん〜、大根かねぇ。」と、祖母。
ぼくに表現力が無いので、すごく伝わりにくいとは思うのですが、
でもこの祖母の言葉、ぼくにとってはとても衝撃的でした。
ぼくも自炊くらいはするので、スーパーに並ぶ面々から、
季節の野菜くらいはだいたい心得ています。
しかし大きくないとは言えそれなりの町で育ったぼくは、
身近な存在であったはずの祖母の言葉の中で、
種を蒔き育て収穫するという当たり前ながら、しかし遠い営みに、
ふいに出くわしてしまったみたいで…、
その懐かしい新鮮さに驚いてしまったのです。
祖母の言葉。その中には、自然の流れに身を置いて、
遠く懐かしい営みを通じ、たゆたう時をひそやかに丁寧に生きていく、
その秘密めいた魅力がふんだんにちりばめられているようで、
ぼくはすっかり魔法にかかったようにどきどきしてしまったのでした。
その魔法の生活をしている当の本人である祖母も、
どこかわくわくして上気しているよう。
少し曲がってしまった腰ながら、ひょこひょこすたすたと、
先を歩いて、ぼくを彼女の小さな畑へ案内してくれました。
ぼくが非常識なんでしょうか。
ぼくは、
ブロッコリーが葉っぱのまん中にで〜んとできるとは知りませんでした。
ゴーヤが棚のような木になるとは知りませんでした。
オクラが成長し過ぎるとバカみたいに太くなるとは知りませんでした。
そして祖母はいちいち感心しているぼくをよそに、
「あーかゆいかゆい」なんて言いながら、
蚊や、親指大の蜂が飛び回る中、そんなものは当然のように、
せっせとぼくのために色んな実をつんでくれました。
ぼくには祖母がまるで、畑やいろんな虫たちのいる風景に溶け込んで、
境がなくなって見えるほどに思えて、
それはどこか神聖な情景でさえあるようでした。
その昔、「暮らす」という言葉は、そのまま、
日が「暮れる」までの時間を過ごすということを意味したそうです。
灯りの少なかった時代、それは当然のことで、
だからこそ、ひとびとは時間を丁寧に過ごし、
時、そして季節の刻々の移ろいを、
愛で、楽しみ、あるいは恐れもすることができたのだと思います。
ぼくはたまに分を越えて大きなことを考えることがあって。
ふと、現代が悲しい時代だと思う時、
それはぼくたちが時間をただ消費しているように思う時です。
街には24時間、灯りが絶えることがなく、
野菜たちは季節を問うことなくスーパーに顔を並べ、
インターネットはいつ何時もあらゆる情報を与えてくれる。
そうして時代が便利になって行くにつれて、
ぼくたちは時と季節を失い、毎日の生活と言えば、
ぼくたち自身がつくったカネとモノを獲得し消費する繰り返しです。
この現代が良い時代なのかそうでないのか、
それを判断する見識はぼくにはまだ備わっていません。
ましてぼくは回顧主義者ではないので、
この文脈は、決して文明を捨てろという主張ではありません。
ただ、ひとつ、時間を消費するような仕方では生きたくないな、と思います。
資本主義や何だかんだのぼくには難しい言葉が説明する便利なこの時代の中、
祖母の魔法の暮らしに抱いた憧れをこころの種にして、
戒めと余裕をもって、毎日の時間を丁寧に過ごしていきたい。
それが、もしかしたら、ぼくの大きな夢なのかもしれません。
少し話が大きくなりすぎてしまいましたが…。
以上、何でも無い普通の日に、
けれど、何かとても大切な「教え」を知った気がした、
祖母と祖母との時間の、お話でした。
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