| ●● 人生分け目の言葉 04.10.24(SUN) ●● |
数年前のことです。
ある夕食の席で、父が突然会社を辞めたと言って、
この家も出ると告げました。
数日後、父は本当に家を出ていきました。
生活をするためにはお金を得なければなりません。
母は早朝、スクーターで新聞配達のパートを始めました。
そしてその数日後、母は交通事故に遭いました。
隣を走っていたトラックに巻き込まれたのです。
朝、伯母からの電話があって、
はじめてそのことを知りました。
ぼくは弟を起こし、急いで着替えをし、
母が搬送されている大学病院へ向かいました。
母は命に別状はありませんでしたが、
全身をひどくけがしていて、
ICUで治療されることになりました。
結局その日はその状況を聞いただけで、
母に会うこともなく、叔母にお金を渡されて、
家に帰ったと思います。
二人だけの家へ。
以来、朝の電話だけは鳴って欲しくありません。
当時、ぼくが高校生、弟が小学校低学年の時のことです。
それから、二人だけの生活が始まりました。
父と母の関係のこともあったので、
母の事故のことはなぜか父に言えませんでした。
ぼくは、朝、ご飯を作って、
弟を小学校に送りだして、
洗濯をして、掃除をして、
3時間目の授業へ向かいました。
そういう生活が2週間程続いたと思います。
その2週間の間、けれど、
まだ小学生の弟は、ひとつとして泣きませんでした。
ぼくに心配させたくないと、思ってたのかもしれません。
おかげでぼくも泣いて壊れるようなことはなく、
毎日家では頑張れました。
でも、
それでも、
ひとりで学校へ遅れて向かう時などには、
何かに対する怒りや、
言い得のない失望が襲い掛かって来て。
今でも覚えています。
ある日、学校へ向かう途中、
雨が降っていて、
傘をさして、
ぼくは、
涙がとまりませんでした。
「どうしてぼくだけこんな目に」
「どうしてぼくだけ!」
通学路の途中、
本当に嗚咽するように、
ひとり、泣きました。
途中にある学校の体育館からは、
みんな楽しそうに競技する声が、
聞こえていました。
すごく遠い世界のように思えました。
そして2週間が過ぎた頃に、
伯母が都合をつけて世話をしてくれるようになりました。
日々の生活は今まで母がいた頃のようになり、
みんなですき焼きをしたり、テレビを見たり、
張り詰めていた家に、笑顔が、少し、戻って来ました。
そんな時です。
あの言葉に出会ったのは。
その言葉は伯母がくれました。
ある日のことです。
父と母のことや、今回のこと、
色々話していた時だったと思います。
ぼくがまた、「どうしてぼくだけ…」と、
いうようなことを言っていたんだと思います。
伯母が口を開いて、てっきりぼくは、
慰めてもらえるものだと思ったんですが、
伯母が父と母の関係について言ったのは、
「二人とも、ただ合わなかっただけなんやろうね」
と、言うそのことだけでした。
「あぁ、そうなんだ」
ぼくは思いました。
今まで、自分ばかりが不幸を背負っているように考えて、
荒み、淀み切ろうとしていた、自分の中の何かが、
すぅーっと、晴れるような気がしました。
「そうか、何も悲観すべきところなんてない」
「お父さんとお母さんだって、ただ二人、合わなかっただけ」
「そういう事実がただあるだけだ」
そう思いました。
それに、元々、よくよく考えてみれば、そうなんです。
父が会社を辞め、家を出ていったのも、
もちろん多少は母とのこともあったかとは思いますが、
父は本当に底意のないひとなので、
リストラの波が押し寄せている時期に、
早期退職して退職金を多くもらおう、とか、
家も、そろそろ弟も大きくなれば、
部屋もこれじゃあ足りないから、
近くに自分は越そう、とか、
単純にそう考えて、
そしていつもひとりで決めるひとだったので、
今回もいつも通りにしただけ、
ただ、それだけ、なんだと思います。
そして、母が事故をしたのも、
本当にただ運が悪かっただけとしか、
いいようがないんだと思うんです。
そう、もう、そうした事実が、
ただただ客観的に存在しているだけ。
「あとは、毎日を頑張ったり楽しんだりするのは、自分次第だよ」
伯母の言葉は、そうぼくに教えてくれているようでした。
それからというものは、
もちろん悲しみはずっとありましたが、
怒りや不安と言ったものは消え、
楽しいことがあると「楽しい」と、
普通に思うことができるようになっていきました。
母も順調に回復し、
まだICUに入っていた時でしたが、
面会することも出来ました。
包帯でぐるぐる巻になった母を見て、
弟は今回のことがあってはじめて、
泣きました。
その弟を見て、ぼくは絶対こいつだけは守ろう、
そう思いました。
母の状態が良くなって、
実家に近い病院に移ってからは、
父も見舞いに来ました。
それはもう、笑ってしまうくらいに、
ごく普通に、見舞いに来ていました。
現在、母は少し、後遺症で足を引きずっていますが、
ぼくらのためにレジのパートに出るまでに、
回復しています。
いつものblogに書いてるように、たまに、
つまらないギャグを飛ばしてたりしてます。
父は、出ていったといってもすごく近いので、
すぐにでも会いにいけます。
今もふんどしを履いて、
しかし、けれど、自分の持つ技術を活かし、
苦しいながら、自営をしています。
ふたりの関係も、少し距離があることで、
うまく行ってるように思います。
弟は今、当時ぼくがそうだった、
その高校生になって、
自分の好きな部活で大活躍して、
忙しい毎日を楽しく過ごしています。
ぼくはと言えば、
大学に行かせてもらって、
たくさんの素敵な出会いを経験し、
たぶん、結構、幸せです。
けれど、あの一言がなかったら…、
今、どうなっていたかわかりません。
伯母は何の気なしにつぶやいた言葉だったのかもしれませんが、
あの言葉がなかったら、きっと今も、
「どうして自分だけ」
その考えを引きずって、
もしかしたら、あの多感な時期に道を過って、
今に至っていたかもしれません。
悲しがることは簡単です。
自分を追い込み、
あたかも自分だけが、
悲劇の渦中にいるように考えることは、
容易です。
けれど、そうするのは自分自身であって、
同時に、それで苦しむのは自分自身だけです。
ならば、せっかくなら、自分でそれを止めて、
幸せを見つける方が、何倍も毎日が楽しいはずです。
幸せは毎日のいろんなところに鏤められています。
だって、こうして、ぼくは生きています。
それだけでも、ほんと、
もったいないくらい幸せの筈なんですよねっ。
でも、そう、
そうして幸せを見つけるのも、
自分自身でしかありえません。
「そんなの当たり前だ!」
って、皆さんに怒られてしまいそうですが、
ぼく自身は、なんとかそういうことは、
頭ではわかるようになってきたのですが、
しかし、きちんと実践出来ているかと言えば、
正直、まだまだです。
でも、うん、
そうなっていくことが、
自分にとっての幸せだと思うし、
そうなっていけるよう、
努力する心構えを、
持つことは、出来るようになって来た、
とは、言ってもいいかもしれません。
ちょっとは、成長したのかなぁ。
…なんてっ。
伯母の言葉。
ものすごく当たり前で、
でもだから忘れてしまいがちな、
ものすごくシンプルで、
ものすごく大切なこと、
それに気付かせてくれたのが、
その、
伯母の言葉でした。
ぼくの、
本当に大切にしている、
人生分け目の、
言葉でした。 |
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